記憶

グラビティデイズのシアネアというキャラの台詞で少し気になったものがあった。少し要約したがこんなものだ。

「昔あった事は今は自分の記憶にしかない。無かったことにしたい事は無かったことにして、あったらよかった事はあったことにすれば良い。現実の証拠から些細な矛盾を見つけ出せば容易にそれができる」

とても感心した。が、やはりびっくりしたというのが本音だ。そういう考え方をしたことはなかったのだ。そんな器用なことを本当にできる人がいるなんて全く思わない、それこそ何らかの病を抱えていなければできないだろう。なので記憶の改変どうこうではなく「記憶とはその程度のものなのだから固執し過ぎるのは健全でない」、そういう曖昧なメッセージなのだと私は受け取った。

でもやっぱり気になる。理論上では、無かったことにしたい事は無かったことにできるのだろうか。
38度と28度を勘違いして「28度の熱が出てさ、うん28度、え?いや……体温計にそう書いてあったし……いやそんな苦しくなかった……普通…いや28度だって!!」とごり押ししたあの事実。袖を通さないでパーカーを着てみたら中二病だと指を指されたあの事実。思いだそうとしても頭が思いだそうとすることを止めさせるようなそんな恥ずかしい事実は、無かったことにできるのだろうか。

黒歴史はふと浮かんでくる。想起させるような文字列を並べる本を読むベッドで、一人机の模様を眺める飲食店で、灯りを消した風呂場で、地図を眺めるトイレで。

だが利口な脳は我々を苦しめたりはしない。都合の悪い記憶を封じ込めてくれる。たまに思い出しても、忘れろ忘れろ!と目を瞑れば大抵のことは忘れられる。無かったことにはならないが、あったことを視認しないことは簡単だ。

シアネアの言うことに沿うなら私はあったら良かった事をあったことにする方が難しく、また価値あることだと思う。
しかし、"あったら良かった事"。その響きだけで少し感傷的になってしまう自分がいる。"あったら良かった事"は何故なかったのか?巡り合わせか?誰かのせいか?それともやっぱり自分のせいか?渦巻く後悔の念についに"あったら良かった事"を直視することはできなかった。


グラビティデイズ:は操作が結構難しいです。セカイ系アクションっていうんですかね?分からないけど。正直あまり好みのゲームではありませんでした。ただ精密な操作を諦めれば縦横無尽な動きを楽しめます。私はいつも画面の中央で四肢を広げているキトゥンのおかげで足腰の美しさに目覚めました。