セール品

以前新商品が嫌いだという記事を書いたが、お金に関わる物は結構好き嫌いが多い。お金という統一された物で一般的な価値を見せつけられると、自分が思っている価値と違うというだけで不満になってしまうのだ。

さて予想できただろうか。ええその通り、私はセール品が好きじゃない。
嫌悪感を抱いた始まりは同級生の言葉だった。

「31のクーポン持ってるから食べに行こ!」

不思議でならなかった。何故安くならなかったら食べない物を安くなったら食べに行く必要があるのか?価値ある物なら定価で買えば良いだろう。

そういう人種のクーポン理論には歪みが生じている。例えば2割引の場合だ。
✖︎ 0→20
○ -100→-80
クーポンをもらったというだけで選民意識を持ち、冷静な思考を失ってしまうのだろう。
目を覚ますんだ、クーポン=お得では決してない。買う事が前提のシチュエーションを与えられる事で、基準点が変更されているだけだ。

さて割引に執拗にこだわる者は自分のことを倹約を尊ぶ賢者だと思っている反面、定価で買う者を情報弱者だと見下しているだろう。しかしバーゲンの旗を掲げる場所に呼ばれたかのように群がる人々の姿は私の思う賢者からは遠い。
が、前提としてここでのセール品とは生活必需品の事を指さない。需要供給曲線の振れ幅の大きい嗜好品の事を指す。別に経済的な事情で野菜のセール品に手を伸ばす人を馬鹿にしている訳ではない。

話を戻す。良くないことに割引というのは店側からしても普段の価格に見合った価値では無いですよと公言しているようなものなので、リピーターも付きにくい。そんなの常連の足元を見て馬鹿にしているのと同じだ。結果また割引をして自称賢者から金を吸い取らないと売上を伸ばせない状態に自らを追い込んでいく。私の中で頻繁な割引とは絶対悪だ。

私は断った。何でクーポンがあるからって行かなきゃ行けないの?ちゃんと自分で割引の与える社会的な影響を考慮した上でそれに群がる事で誰が得をするか考えて?
そう思いながら「ゲームしたいから無理」と言った。するとこう返される。

「そうなのー?平仮名と31行きたかったなー」

……。
ごめーん……^^;


自分の文を解説:する劇的にダサい行為を許して欲しい。これは二人の人間が理論を結論から構築しがちという事をオチにしている。私はゲームしたいのでクーポンを悪にする理論を、同級生は放課後を満喫したいのでクーポンを良しとする理論をそれぞれ組み立てている。
理論は本当に道具に過ぎない、使い分けする事が前提になっている。あまり一つの理論にこだわり過ぎると良くないだろうと何となく肌で感じた瞬間だ。
しかし勘違いしないで欲しい、別に友情を重んじていないから家に速攻帰る訳ではない。それこそクーポンなんてあろうとなかろうと一緒に放課後を過ごしたい相手なら思考停止で誘いに乗る。つまり、そういうことなのだ(?)。