ズートピア


休日に遅ればせながら『ズートピア』を見てきました。素敵な映画でしたよ。

可愛い動物や鮮やかな色彩など注目すべきところはたくさんありましたが、一番感動したのは出てくる多くのバイオーム。場面場面に華を与える要素だったように思います。特にレインフォレストと狼のアジトが気に入ったため、もう一度見るためにパンフレットの購入をエンドロール中に決めました。

観た映画館では売り切れだったためハシゴして手に入れたパンフレットはしかし、あまり背景についてページは割かれていませんでした。そりゃそうか。映画中夜だったレインフォレストの設定画は輝度と彩度が高く、雄大な滝のある狼のアジトなど載ってすらいませんでした。720円なりの価値というものなのでしょう。ビジュアルガイドを買うかどうかは検討中です。

さてさて、ズートピアの設定はバイオーム多様性の影響を強く受けているかもしれない。
ズートピアは猿や犬猫、人間に近い動物は居ないパラレルワールドの設定だ。人間以外が文明を得たという設定を裏付けるためなのだろう。
人間が住まない地域は北極を始めたくさんあるわけだが、生物の多様性はその程度には収まらない。どんな危ない環境でも競争相手が少ないというだけの理由であり得ない進化を遂げていく。その生息範囲は大きなくくりでの生物と人間とで大きく違う。

ズートピアは多種の生物の住まう、大きい者も小さい者も共存できる大都会として描かれている。そして風刺されているのは都会に渦巻く差別や偏見、つまり成り立ちや体格の違う動物が仲良くできるのかについてだ。
人間の世界に寄せて描かれているようでそんな事はない。ここは一種の文明でズートピアは多種の文明なのだから。生息範囲の振れ幅が大きすぎて恐らく統治は容易ではないだろう。
これは色々な解釈をすることのできる映画だ。私自身は多種の均衡を維持することに苦しむ動物達を見て、せめて人間という一種の生物間の間くらいでは分かり合おうとする努力をしろ、そういうようなメッセージを受け取った。


文鎮:映画を見ている時というのはとても感情を揺さぶられるものなのだが、今回は何となく熱狂的になれていない気がした。私の心に一つ決まっている映画が、高揚する気持ちを押さえつけるかのように、まるで文鎮のように中心に佇んでいる、そんな感覚を覚えた。
好きな映画があるのは素晴らしいことだとばかり思っていたが、まさかこんな映画の見方をする日が来るとは思わなかったので驚いた。一つ仰いでいる映画があるだけでこんなに他のものを斜に構えて観るようになってしまうのだろうか?それともあまり自分の感性に合っていないから入り込めていないだけなのだろうか?
映画玄人はたくさんの映画を、どんな見方をしているのか。気になるところだ。