眼鏡


子供の頃よく眼鏡を破壊していた。
起床すると眼鏡が無い、寝ぼけ眼で布団の上を探る。すると尻の下に固い感触。またか、そう思い手をやると出てくる眼鏡。
夜寝る前によく本を読んでいたため、布団に入る→弦が痛い→適当に置く→寝落ちという感じで多々下敷きになっていた。

勿論無傷なわけはなく、ネジのある丁番が歪みに歪んでいるせいで下を向くだけで眼鏡がずり落ちる。やたらと授業中に眼鏡をずり上げる小学生だった。

母にも何度も注意されたため置く場所に工夫を凝らした時があった。朝目覚めると布団の上に無い、困って床や机の上を探すもなし。焦っていると母がやってきて、探し物をするならこんな暗い部屋でやるな!と言ってカーテンを開けた。すると窓の棚状の部分に眼鏡登場。この時ばかりは自分の置き場所模索の迷走ぶりにに唖然とした。
しかし思い返せばいくら模索しようともメガネケースという発想は出てこなかった。国語の問題なら「眼鏡を破壊しない置き方を30字以内で答えなさい、ただし文中でメガネケースという言葉を使ってはいけない」こんな感じだった。
しばらくして脇机に置けば良いということに気づいた。成長というやつだ(?)。

ちなみにネジの緩んだ眼鏡は眼鏡屋さんに持って行く。末期が近づけば近づく程「これ以上曲げると壊れるかもしれないんで直せません」と言われる。そうなると堪忍して親に新しい眼鏡をねだる。
これが小学生の時の私の眼鏡の在り方だった。

余談だが私には店で眼鏡を選ぶ時の美学がある。黒縁眼鏡"以外"というものだ。黒縁はファッション感覚で身に付ける人が多い。医療器具をファッションで使うとは恐れ多い、そういう人と同じと思われたくないからだ。
眼鏡とは私にとって自分に綺麗な世界を見せてくれる道具だ。自分を綺麗に見せてくれる道具だと思っている彼らとは残念ながら相容れない。


トライ:数々の眼鏡を闇に葬っておきながら何を言っているんだ……?という感じだが、それはあくまで過去の話なのだ。過去なんて神話、未来なんて空想、変えられるのは今だけだ!!
ということで最近文が長いという現状を打破すべく"削ぐ"練習を試みる。一つの記事に五段落までの縛りを五回やることにした。
これは私が″引く″美しさというものを手にする過程になるだろう。そう……冗長なだけの言い回しなど自己満足なだけで読みにくいのだ!!改善あるのみ!!まずは五段落!!コンマ以降は含めないけどね!!