祝福

なんとなくだが、既存のSNSに足りていないものは祝福の様な気がする。

何か新しいことをしようと思い至った時に人が求めるものは何か?それが祝福だと思う。経済的な余裕や捻出する時間というのは必要なものに過ぎない、これは社会に役に立つ事なんだと認めてくれる存在が誰もが欲しがるものなのではないか。
初心表明の際に石を投げられたり人でなしとの声を浴びて頑張るぞ!と思える人は少ない。馴れ合いのツールでありながら新しい物に出会える可能性を秘めているSNSでの評価軸が良い悪いしか無いというのは何か物足りないと感じた。

さて新しいアクションを起こすのに欲するものは祝福だと書いた。しかしこの考えに則ればこの世で星の数程起こってきた負の歴史の裏にもそれは潜んでいるという事になる。個人より全体を選ぶような選択をしてきた彼らも、差別することで統率力を上げた彼らも、誰かに祝福されたに違いないのだ。

祝福とは行動を讃える以外にもその人自身を讃えるという意味を含む。人は自分を祝福してくれるというだけで、手を叩いた者を自分を認めてくれる大切な人間だと思いがちだ。また反対に大切な人だからといって安易に行動を讃えるという例もある。
そう、祝福は間違った選択かどうかという判断力を奪う。

そして祝福の宴は盛大にやる、それが鉄則だ。何故なら盛大にやらなければそれが大衆の意思だという事が表現できないからだ。その選択が間違っているなら皆に賛同されるはずがない。皆で間違っていない事を確認し合わなければ大変な事が起こりかねない。

安易な祝福がもたらすものは何か?考えるだけで恐ろしい。SNSでかなり祝福に近い意味のあるのはFacebookのいいねボタンだが、あれだって礼節の面が大きい。私の思うような祝福をSNSに要素として盛り込むのはどうやらなかなかに難しいらしい。

大切な判断をする時は手を叩かれただけで喜ぶのではなく、無責任な賛同かそうでないかを見抜く必要があると私は強く感じた。


Twitter:のアカウントを実験的に作りました。運用できる自信がないです。
@h1ragana_
主な用途は気になった記事のクリップです。このサイトは最近気になった事や考察の″共有″のために作ったので趣旨は同じなのだよ。


というか「ねじまき鳥よ、俺の幸運を願え」の気まぐれリンクに憧れて作ってみたんですわ^^;
別にフォローしなくてもPCで見れば左に置いてあるんで、よしなに。