読書


私は面白い小説を読む時に貪る様に読む、おかしな話だが面白ければ面白い程内容の事など考えない。右から左に、右から左に、早く先が読みたいと焦るようにページを捲る。

そんな読み方で頭に残るのか疑問だろうが、残念ながら全く頭に残らない。しかし読んでいる間は確かに登場人物と共に流れるような世界を追体験している。でも閉じたら何の話だっけ?という按配だ。読書を新たな世界への扉と形容する者はこういう経験を多々してきたのだろう。

一転好きな作家の小説を読む時はそんなことはない、分からない表現があれば調べて、足をバタつかせながら笑ったり、気に入ったシーンがあればメモをする。きりが良い所で明日の楽しみにと栞を挟む。

どちらも楽しんでいることには変わりはないが、この違いはどこから生まれるのか。恐らく私が小説の魅力として大切にしている事に関わりがあると思う。

小説というか創作物に関してだが私はワクワクさせるものに魅力を感じる。旅立ち、冒険、新たな仲間、未来を感じさせるその言葉に胸踊る。だから先へ先へと手を動かすのだろう。

しかし私の思う手を動かす条件の一番は面白いからではなく、緩急が付いているからというものだ。一見何の意味もない雑談パート、読書をしている自分にマッチするゆったりとした時間、日常に紛れ込む些細な違和感、そして巻き起こる事件。このタイミングで次の章に移り変わるからといって、誰が栞を挟む?焦らす訳でもない、展開の緩急というのは内容の面白さや世界観の魅力より遥かに私の読書欲をそそる。

最近本を読んでいない。読書よりしたい事があるからだ。読書で私が得ていたワクワクは他で補える、しかし自分のペースで読み進める事で得られるこの緩急のリズムは他では味わう事のできない楽しさだと思う。


後書き:ちなみに毎回あるこのコロンは後書きをイメージしている。私の好きな作家に内容より後書きの方が安定して面白い作家がいるのでリスペクトした、その魅力は凄まじい。「はぁ?何だこの投げやり展開。金返せよ」と思うと現れる後書きのページ。最後の謝辞まで読みきるとまあいっか^^となる力を秘めている。後書きのゴーストライターになれば良いのに。