哲学

哲学は難しい。用語が多すぎてふわふわ読み進めているうちにむしろ著者の経歴や人間像の方に興味が出てきてしまうくらい退屈な物もある。
その中で私自身の印象に強く残っているものがある。詳細が知りたくて調べても全くヒットする気配が無いので有識者がいたら教えて欲しい。
これは精神と肉体に関してのものである。


精神は肉体に付随する金魚の糞のような存在だ。何か考えて行動しているというのは勘違いに過ぎず、習慣や惰性や経験則や本能により動いている。もし精神が肉体を動かしているのだとしたらそれは念力で物を動かすサイコキネシスで、人類全員が超能力者ということになってしまう。精神が肉体に影響をする事はなく、行動した事に後から理由を論理立てているに過ぎない。


この暴力的な考えを私はいたく気に入った。そしてこの言葉を思い浮かべた。
『明日やろうは馬鹿野郎』
つまりあれしよこれしよと考えていても全く体は動かないということではないのか。もう自分の事を意思の弱い人間だとしょげる必要はない、意思など身体に何の影響も与えない。
またこの考え方を否定するものを私は超能力者認定することができるのだ。それはそれでとても素敵な事だ。

この考え方から私は自己の正当化を得た。哲学で人はそれぞれ別々のものを得る事ができるだろう。

私は哲学に熱心になる人間を馬鹿にしていた。図書室からフロイトの本を借りてくる人を心の底から見下していた。そんなものファッション哲学に過ぎないし、エンターテイメントとして触れているだろう?そもそも精神がどうだろうが生活に何の影響がある?そう考えていた。

しかし意外にも哲学は行動に影響してくる。私は立派な志を持っていれば立派な人間になれると思っていた。しかし先程の考え方を適用すればこれは間違っている。志など行動に何の影響も持たない。習慣になるまで癖になるまで惰性になるまで立派な行動をしなければ私は立派な人間ではなく″意識高い系″だ。

まあ立派な事といっても毎日できる事はせいぜい電車の席を譲るくらいの事だろう、それでも私は自分からやるんだという前のめりの姿勢を得る事ができた。そして意思の弱さという概念を捨てる事で余計な事を考える手間を省く事ができたのだ。

また哲学はエンターテイメントとしてのレベルも高い。小難しい事を考えてみたい日曜の昼間などに調べてみると面白いかもしれない。ちなみに図書室からフロイトの本を借りていた同級生は不登校→退学→ファッションメンヘラの道を歩んでいる。


紅白:始まりましたね、楽しみです。更新報告スレに書き込むと匿名投票の要素が怪しくなってくる事を考慮して期間中は報告を控えます。具体例として、いつも熱いレビューを書いていた平仮名(更新報告スレとのID一致や文体の一致)が今日は紅白スレに投票していない、という事は……?というもしもの事態を回避するためです。心配し過ぎだとは思いますが。
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