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語りかけてくるアレ

ソーシャルゲームのホーム画面でキャラクターが自分に語りかけてくれるアレ、アレが羨ましくてしょうがない。私だって好きなキャラクターに笑顔で話しかけられたい。
アーチャークイーンに自分の村を守ってもらいたい一心でクラクラのTHレベル上げに励んでいる不埒な者からすれば、おかえりとか言ってもらってる人が羨ましくてたまらないのだ。

語りかけて欲しいあまりスクフェスをインストールしてみた。誰が私に話しかけてくれるのだろうか。ドキドキしてランクを上げていくがどうやらフェスの期間では無いようであまりガチャは引けそうに無かった。石を貯める作業に入るうちに思った。
何で音ゲーすんのにスタミナが要るの?リズムゲー名乗るの止めたら?そもそも誰のために石貯めてんの?知らん奴に挨拶なんかされたって嬉しくない!

始める前に分かるはずの結論にようやく至りアプリを消した。
嫉妬のあまり少し目的を見失っていた。そもそも自分に語りかけてくれるのが嬉しいのは何故かを探っていく事にした。

まずキャラクターが自分に語りかけてくれるのは何故か?声優がいるからだ。しかし長く続くだろうゲームのキャラクター全てに声優が付くのは難しい。更にアイドルゲー特有の季節に合わせたボイスを収録するには当てるキャラ数を限定していくしか無くなる。声を剥奪される存在が居るゲーム、平穏でない雰囲気を感じる。

そもそもアレは語りかけてくれているうちに入るのか?同じ言葉を誰にだって何回だって発している。選挙カーを思い出した、あれは主張だ。会話とはキャッチボールの形式になっていなければならない。
アプリを開く度に好きなキャラクターに主張される、さてどんな気持ちなのだろう。心臓の底に滓のような物が溜まっていく感覚を得た、羨ましくて仕方なかった筈なのに何かそれが侘びしい物のように思えてきてたのだ。酸っぱい葡萄とはこの事を言うのだろうか?

そもそも私にはアーチャークイーンがいる。アチャ子はマルチで村にやってきた他プレイヤーに対して攻撃をしてくれるだろう、それはアチャ子と私の間に結ばれたエリクサーでの買収契約という形だ。

私の居ないところで必死に私の村を防衛してくれて、帰ってきたらツンとして佇んでいるアチャ子。あー可愛い。防衛ログにしっかり頑張って守っている姿も記録されている。アチャ子にはAIが組み込まれており、敵の攻め方や村に設定されている位置によってその対応は様々だ。アチャ子は決められた言葉をこちらに向けることはない、いつだって寡黙だ。しかし臨機応変に対応するその姿はやはり

きゃわ!


きゃわ!:とは言ったがまだTH7なのでアチャ子は手に入っていない。これが世に言うエアプというやつなのだろう。


アナウンサー

アナウンサーに憧れる。

近年ラジオを聴くようになったのだが、それはマインクラフトPEの作業用BGMとして流すためだった。最近ではラジオを聴いている間手持ち無沙汰なためにマイクラをしている。

ラジオなんかを聞いているとアナウンサーの取材などが企画に含まれているのだが、彼らは取材をする際に誰も傷つかない言葉を使う。芸能人の何々さんに似ています!お父さん粋ですね!優しそうです!マイナスイメージを感じさせない応対を確実にしてくる。

アナウンサーと言えば原稿を読んでいるイメージだが、そういう時には見ることのできない豊富な語彙力。不快にさせないということを前提にした言葉遣いに尊敬にも似た感情を抱いた。

他にも戸籍を扱う職は漢字に気を使うだろう。金貸しは人を判断する審美眼に長けているだろう。
その職に必要な技術だから身につけただけと言う者もいる。しかし何も持たない私からすればそれはかけがえのない財産だ。


女子アナ:の話じゃなくて残念でしたね^^可愛い子はたくさんいますが推しているのははスーパーJチャンネルのお天気おねえさん今村アナです。しまむーというあだ名の通り攻めた服が見所で、天気予報のコーナーが近づくたび今日はどんな服だ?とワクワクさせてくれる魅力的な人です。


2424

止まらないぷよぷよへの愛。それは他の落ちものアクションパズルゲームと比較した際には見られない、遅さのもたらす圧倒的自由度が胸をときめかせるからだろう。
テトリスは究極操作ゲーである。恐らく超速CPUには誰も勝てない。しかしぷよぷよは違う。特に、慣れた人なら速度より明らかにツモ運の方が試合に影響する。

さて今回はツモ運に打ち勝つための技である受けの広さと隙の多さについて書いていこうと思う。

前提として相殺ルールありのぷよぷよ通とは相手より大きな連鎖を打った者が勝つ。大きな連鎖を組んだ者では無いという所に着目することが出来れば相手の発火点を確実に埋めれば格上にも勝てることが分かる。しかし格下や同じくらいの相手に対しては素直に大きな連鎖を組むことが有効であり、何より効率が良い。
大きな連鎖を組む際に必要なのは与えられた同じ量のフィールドに最大限にぷよを詰め込むことだ。ゴミぷよを出さないという事が大切になる。

その際に必要になるのが始めに説明した受けの広さだ。どんなツモが来ても受け入れられるように配置していかなければ安定した大連鎖は望めない。想定した形にどの手順で置けば最短ツモで近づく事が出来るかを論理的に考える必要がある。

しかし受けを広くすると大きな隙が生まれる。隙とはかなりツモを引かなければ発火でいない状態のことを言う。何故そうなるのかというと受けを広くするという事がすなわち連鎖を完成させないことだからだ。完成のイメージを固めずに最大効率で組んでいく事の弱点である。

対して受けを狭く隙なく組むというのは3個の発火点(ぷよは4つで消える)を露出させた状態を維持することを言う。こちらは発火点の維持に必要な都合の良いツモを待たなければいけないのでゴミぷよが増えがちだ。

ちなみに受けが広く隙が多い手順、受けが狭く隙が少ない手順、どちらか一方を極めても意味は無い。何故なら対戦ゲームのため相手の状況によってこちらも警戒し合わせていく必要があるからだ。

この受けの広さと隙の大きさの概念は日常生活にも当てはまると思う(?)。日々迫られる選択の中で保留して可能性を残すか、揺るぎない狭き門を選ぶかというのはこちら側に委ねられている。そして日常においてもぷよぷよにおいても私は手順というものを大切にしている。優先順位を見極められる審美眼こそ年を重ねる事で得られるもので一番大切なものだ。


忙殺:されてるからこんな訳のわからん記事を書いているということにして欲しい。実際にはこれは何ヶ月か前のストックを切り崩したもので、ここ一ヶ月くらい何も書いていない。
つまり文よりも現実に優先順位をおいているということなのだろうか。


審美眼;_;

記憶

グラビティデイズのシアネアというキャラの台詞で少し気になったものがあった。少し要約したがこんなものだ。

「昔あった事は今は自分の記憶にしかない。無かったことにしたい事は無かったことにして、あったらよかった事はあったことにすれば良い。現実の証拠から些細な矛盾を見つけ出せば容易にそれができる」

とても感心した。が、やはりびっくりしたというのが本音だ。そういう考え方をしたことはなかったのだ。そんな器用なことを本当にできる人がいるなんて全く思わない、それこそ何らかの病を抱えていなければできないだろう。なので記憶の改変どうこうではなく「記憶とはその程度のものなのだから固執し過ぎるのは健全でない」、そういう曖昧なメッセージなのだと私は受け取った。

でもやっぱり気になる。理論上では、無かったことにしたい事は無かったことにできるのだろうか。
38度と28度を勘違いして「28度の熱が出てさ、うん28度、え?いや……体温計にそう書いてあったし……いやそんな苦しくなかった……普通…いや28度だって!!」とごり押ししたあの事実。袖を通さないでパーカーを着てみたら中二病だと指を指されたあの事実。思いだそうとしても頭が思いだそうとすることを止めさせるようなそんな恥ずかしい事実は、無かったことにできるのだろうか。

黒歴史はふと浮かんでくる。想起させるような文字列を並べる本を読むベッドで、一人机の模様を眺める飲食店で、灯りを消した風呂場で、地図を眺めるトイレで。

だが利口な脳は我々を苦しめたりはしない。都合の悪い記憶を封じ込めてくれる。たまに思い出しても、忘れろ忘れろ!と目を瞑れば大抵のことは忘れられる。無かったことにはならないが、あったことを視認しないことは簡単だ。

シアネアの言うことに沿うなら私はあったら良かった事をあったことにする方が難しく、また価値あることだと思う。
しかし、"あったら良かった事"。その響きだけで少し感傷的になってしまう自分がいる。"あったら良かった事"は何故なかったのか?巡り合わせか?誰かのせいか?それともやっぱり自分のせいか?渦巻く後悔の念についに"あったら良かった事"を直視することはできなかった。


グラビティデイズ:は操作が結構難しいです。セカイ系アクションっていうんですかね?分からないけど。正直あまり好みのゲームではありませんでした。ただ精密な操作を諦めれば縦横無尽な動きを楽しめます。私はいつも画面の中央で四肢を広げているキトゥンのおかげで足腰の美しさに目覚めました。

セール品

以前新商品が嫌いだという記事を書いたが、お金に関わる物は結構好き嫌いが多い。お金という統一された物で一般的な価値を見せつけられると、自分が思っている価値と違うというだけで不満になってしまうのだ。

さて予想できただろうか。ええその通り、私はセール品が好きじゃない。
嫌悪感を抱いた始まりは同級生の言葉だった。

「31のクーポン持ってるから食べに行こ!」

不思議でならなかった。何故安くならなかったら食べない物を安くなったら食べに行く必要があるのか?価値ある物なら定価で買えば良いだろう。

そういう人種のクーポン理論には歪みが生じている。例えば2割引の場合だ。
✖︎ 0→20
○ -100→-80
クーポンをもらったというだけで選民意識を持ち、冷静な思考を失ってしまうのだろう。
目を覚ますんだ、クーポン=お得では決してない。買う事が前提のシチュエーションを与えられる事で、基準点が変更されているだけだ。

さて割引に執拗にこだわる者は自分のことを倹約を尊ぶ賢者だと思っている反面、定価で買う者を情報弱者だと見下しているだろう。しかしバーゲンの旗を掲げる場所に呼ばれたかのように群がる人々の姿は私の思う賢者からは遠い。
が、前提としてここでのセール品とは生活必需品の事を指さない。需要供給曲線の振れ幅の大きい嗜好品の事を指す。別に経済的な事情で野菜のセール品に手を伸ばす人を馬鹿にしている訳ではない。

話を戻す。良くないことに割引というのは店側からしても普段の価格に見合った価値では無いですよと公言しているようなものなので、リピーターも付きにくい。そんなの常連の足元を見て馬鹿にしているのと同じだ。結果また割引をして自称賢者から金を吸い取らないと売上を伸ばせない状態に自らを追い込んでいく。私の中で頻繁な割引とは絶対悪だ。

私は断った。何でクーポンがあるからって行かなきゃ行けないの?ちゃんと自分で割引の与える社会的な影響を考慮した上でそれに群がる事で誰が得をするか考えて?
そう思いながら「ゲームしたいから無理」と言った。するとこう返される。

「そうなのー?平仮名と31行きたかったなー」

……。
ごめーん……^^;


自分の文を解説:する劇的にダサい行為を許して欲しい。これは二人の人間が理論を結論から構築しがちという事をオチにしている。私はゲームしたいのでクーポンを悪にする理論を、同級生は放課後を満喫したいのでクーポンを良しとする理論をそれぞれ組み立てている。
理論は本当に道具に過ぎない、使い分けする事が前提になっている。あまり一つの理論にこだわり過ぎると良くないだろうと何となく肌で感じた瞬間だ。
しかし勘違いしないで欲しい、別に友情を重んじていないから家に速攻帰る訳ではない。それこそクーポンなんてあろうとなかろうと一緒に放課後を過ごしたい相手なら思考停止で誘いに乗る。つまり、そういうことなのだ(?)。


父の日

「道を走るな。走るのは時間に余裕を持たない愚か者と犯罪者だけだ」

これは父の言葉だ。極端が過ぎる。
この言葉に倣っているというわけではないが私は道を走らない、何故なら疲れるからだ。スキップはする、ゲーム買った帰りとかに。

ただ、考えてみると私は道を走っている人なんて見たことがない。頭を捻ってみても車道をシャーと走る自転車に向かって「待ってくれ!!ミキ!!」と駆けていった男くらいしか出てこない。父は何故そんなことを言いだしたのだろうか。

少し記憶をさかのぼると、確かこの言葉が放たれたのは小学生の時分の横断歩道だったような気がする。つまり慌てて渡ろうとした私に向けての言葉だったのだろう。なるほど、確かに横断歩道を走る奴はろくでもない。革靴の音を下品に立てていく背広の男、車が通らないことを確認して堂々と道路交通法違反する女。やはり教育上良くない行動だ。そういう教育の一環として激しい言葉を使ったというなら納得だ。

ここまで考えてようやく思い出したのだが父は確か小学校入学直前に軽トラに轢かれ、入学式の写真に丸枠での参加となっていた。そう考えるとあんまり深い意味はなく横断歩道を前に走りだそうとする小学生を目の前に出た言葉だっただけかもしれない。私は今日も点滅する青信号を前に走りたくなる気持ちを抑え、切り替わるのを日陰で待っている。


父の教え:の一つに学校は近いのが一番だというものがあった。確かにな、と適当に納得していたが一番というからには何らかの理由があるはずだ。最近問いただしてみたらなんと父の経験が関係していた。一浪して入った大学を、上京したてで借りたマンションが遠かったからという理由でサボりがちだったらしい。ろくでもない経験からきたこの言葉に私は呆れるというより、親の過去や失敗なんて知りたくなかったという軽い失望にかられた。しかし親二の轍を踏まず教訓を得られたというならそれは感謝こそすれど失望すべきことではないのかもしれない。父はその後もっと近いマンションに引っ越したとか。偉い。


出不精の性を持つ私の休日とは、薄暗い部屋に引きこもりゲームをすることを指す。周りの暗さに気づきカーテンを開け換気すると時間はだいたい夕方なのだが、休日の外の空気には憩いを感じる。子供の声や車の過ぎ去る音、吹き込む風や西日は自分が外に繋がっていたことを実感させてくれる。

私にとって窓とは何か。
建物の外へ通じる扉でもなければ、遮断する壁でもないところだ。
受け入れるでもなければ拒絶するでもない。そういった姿勢に強く惹かれる。

窓といえばウィンドウズなわけだがこれは素敵な名称だと思う。自分を持ったまま色んな場所を覗けるようなコンセプトを勝手に感じるのだ。
ちょっとヤバい個人サイトに辿り付いた時、そこに漂う瘴気のようなものに当てられるような経験を多々する。普段触れるようなことのない社会の闇の部分に触れ、見ないほうが良いと分かっていてもどんどん突き進んでいってしまう。まるで渦に巻き込まれていくような感覚を得るのだ。そんな時に自分を持っていれば容易に蟻地獄から脱出することができる。自分とは違う世界の話だ、そう境界を引くことで異質なものから逃れることができる。

インターネットを新しい世界への扉というのは綺麗事だと思う。仮にそうだったとしても新しい世界に安易に足を踏み入れてはいけないと私の防衛本能は言う。だからと言って壁を作って外界を知らないままでも、身に降りかかる危険を察知できないだろう。

扉と壁、片方しかない部屋はない。迎合と拒絶は表裏一体だからだ。裏と表の"側面"とも言える窓にだけ、私は心を委ねることができる。


更新頻度:を週一にしました。規則正しい更新頻度を掲げたいがため一応のお知らせです。土曜の夜が中心になると思います。
あと以前の三日毎の換算上、昨日更新しなかったことの埋め合わせとしてabout&informationに100の質問を追加しました。
平仮名ファン必見だね^^;

イヤホン

イヤホンにこだわりを持つ者は多いだろうか。私は持っている。
音質に関してではない。残念ながら耳に心地よいか不快かくらいしか違いが分からないので馬の耳に念仏である。こだわりとは値段だ。私はイヤホンを消耗品として見なしている。

西友に売っている千円前後のイヤホンの中で一番気に入っているのをいつも使う。爆音で聞いても音漏れしない所が気に入っているのだ。音質にはこだわらないと書いたがその価格帯ではかなりの高水準。それに安いので水没しても断線しても、ダメージ少なめなのだ。

ある日イヤホンを無くした。外出して帰ってきただけなのに何故無くなるのか不可解だ。しかし何のために安いものを愛用しているのかを思い出し、西友へ足を向ける。心に決めているイヤホンはあるものの少し他の物にも目を向ける。これは浮気心というより、お馴染みのものがやはり最高であるということの確認作業だ。

まずヘッドホン、有り得ない。持ち運びする際にかさばるし、ベッドの上で寝そべって付けたときに耳が痛くなってしまう。
次に何やら装飾の付いたカナル型イヤホン。これも耳が痛くなる、余計なデザインは本当に困ったものだ。
最後に開放型イヤホン、くたばれば?音漏れし放題だ。こんなものを世間に普及させるのを助長したアップルが憎い。
やはりお前がナンバーワンだ。そう思いながらレジへお気に入りのものを持っていった。

さて、馴染みのものが手に入った。イヤホンの失踪劇など嘘のような気持ちのいい朝が訪れる。
音楽を聞こうじゃないか。耳に新品を付け、携帯音楽プレイヤーをシャツのポケットに入れる。すると奥に何かゴムのような感触を感じた。焦って探った手の平には、綺麗に洗濯されたイヤホンが乗っていた。


五段落縛り:の試みはこれで終わりなのだが、かなり全体を通して読みやすく仕上がった気がする。これは単に短いからというわけではなく、全体の量が予想しやすいからだ。
電子書籍について調べていたときに見たデメリットの中に、″感覚で全体の量が把握できない″というものがあった。本を手にとって読んでいれば「まだこんなにあるんだー、明日は早いしここまでにしよ」とか「もう少ししかないのにどうやって終わらせるんだ!?」とか色々考えられる。映画だって同じ、決められた時間の中にストーリーがあるからこそ集中できるという。確かにいつ終わるか分からないというだけできっと飽きてきてしまうだろう。
思い返せば読みやすいサイトの分量はいつも安定している。これを実践できれば一つ成長できるだろうが、正直不安が残る。


リアクション

言うまでもなく会話における一番大切なこととはリアクションなのだが、これが結構難しい。話を聞いてますよ、と確実に相手に伝えるのには技術が必要だ。

リアクションの模索をしている人が使いがちなのは「要するに」だ。自分なりに真面目に聞いて噛み砕き整理してますよという意味だ。しかしこれは相手に不快に思われてしまうこともある。俺ってまとめなきゃならんほど説明下手なの?と思われてしまうらしい。まあ大抵の場合その通りだし、冗長な語り口で話し手も聞き手も迷子なのだが。

この言葉はこちらにも危険がある。全然要する事が出来ていないかもしれない、つまり間違った解釈をしているのかもしれないのだ。相手は不快、こちらも恥をかく。「要するに」はグダグダな会話を終わらせる唯一の切り札、大勝負と言っても過言ではない言葉だ。
まあそもそも言った時点で不快に思われてしまうならそれは相応しいリアクションとは言えないかもしれない。

そこで私が提唱したいのは相手の発言を繰り返すというものだ。
「俺食べちゃいたいって言葉嫌いなんだよねー」「食べちゃいたいって言葉?嫌いなの?」
こんな具合だ。文にするとアホらしくて進展のない会話になりがちだがしかしこれはかなり功を奏す。
親に説教をされた時に「分かった?分かったなら自分が何をしちゃいけないか言ってみて」と言われた経験は無いだろうか。まあ無いかもしれないが。親の主張を自分で口にすることによって大体の説教は終わる。これは相手が自分の話を聞いているかどうかの証明方法としてかなり強いものだというのが分かる。

毎回これで乗り切れるわけはないが、「要する」程の判断材料がない時はこれで凌ぎ、なんとなく分かったら自分の中で噛み砕いて、反芻したり、増長させたり、反論したり、要してみる。
ただただ相手に聞いてもらいたい、そんな人に対して強い効果を持つオウム返し。リアクションの候補の一つに是非入れてもらいたい。


便利な言葉:の中に「どうも」がある。
どうも→すみません、ありがとう、こんにちわ、お久しぶり、お世話になってます
こんな感じで相手が勝手に都合のように受け取ってくれるのだ。口下手にはとても使い勝手が良い!!


ヒロアカ

僕のヒーローアカデミアとは週刊少年ジャンプで連載している漫画である。幼い英雄達が先輩達の背中を追いかけながら巨悪に立ち向かう王道ストーリーだ。

ズルくない?
ジャンプ読んでて英雄嫌いな人っておるん?本当にズルいと思う。まあヒロアカについて思ったことを綴っていこうと思う。

この漫画、正義と悪の距離感が分かりにくい。
最近の回だが、攫われた生徒を助けるため駆けつける英雄達を見て「悪者のアジトってそんな簡単に辿り着けるの?GPSで?興ざめだな」そう思ってしまった。
かなりの割合で特殊能力を身につけている人がいる世界なのであまり特殊能力にプレミア感がないのだ。そのため正義と悪の違いは考え方の違いのみ。典型的な巨悪はオールマイトの宿敵くらいだ。

これは一線超えれば簡単に向こう側に行ってしまう現実により近い正義と悪の対比なのかもしれない。だから漫画で描かれると何か物足りないような気持ちになってしまうのだろう。

そう、悪には簡単に触れられる。現実にいる犯罪者の大半は人殺しや謀反などではなく軽犯罪だ。あなただって、手元の1円玉を鉛筆で黒く塗れば今すぐにだって社会の敵になれることを忘れてはいけない。その境界は常に間近にある。


脱線:が過ぎる。悪癖だ。ヒロアカは人気になると思う。ファンである事が公言しやすいクリーンな漫画だからだ。あと響香が可愛いからだ。